子供にとっての「駄菓子屋」とは

お菓子

かつての街の交流場所だった「駄菓子屋」

2012年に池袋に「駄菓子屋バー」ができたということでかなり有名になりました。
駄菓子屋バーではかつて全国にあった駄菓子屋を再現するということがコンセプトとなっており、店内ではバラ売りをする小さなお菓子類がたくさん箱に入れられています。

駄菓子屋という店舗形態が消え始めたのは1980年代くらいからで、2000年までにはほぼ全滅状態となっていましたので現在20代の人のほとんどは一度も実物を見たことがないことになります。

にもかかわらず駄菓子屋バーは営業開始から数年が経過した現在においても人気のお店となっており、これまで渋谷や恵比寿、人形町、川崎市とどんどん店舗を拡大してきています。

なぜ実際の駄菓子屋を利用したことがない人たちにまで駄菓子屋を舞台にした飲食店が受けるのかというと、それはやはり独特の店内の雰囲気と、行ったことはなくてもなんとなく感じる昭和のなつかしさがそこにあるからだと思います。

現在40代の人はおそらく実際に駄菓子屋に足を運んだことがある最後の世代ということになりますが、当時はコンビニエンスストアや大型スーパーもなく地元商店街で買い物をしていた古きよき地域コミュニティーを懐かしく思うことがあるでしょう。

今もマンガや映画などの中には古い居酒屋が登場してくることがあり、街で暮らす子供たちの社交場として機能していたことが表現されています。

子供と駄菓子屋の関係について

現在ではすっかりコンビニエンスストアにとって変わられた駄菓子屋ですが、最も業務内容の大きな違いとなっているのが「バラ売り」による単価の低さです。
例えばコンビニに行って何かお菓子を買おうとする場合、最も安いものを買おうとしても100円はないといけません。

しかしバラ売りが基本の駄菓子屋では5円や10円で買えるものがほとんどで、子供たちが毎日のおやつとして親からもらった数十円を片手に買い物に通うということができていました。

この「毎日のように通う」ということが駄菓子屋という営業の肝で、子供たちが常連になって通って来てくれることでお店の人と子供たち、また子供同士でのコミュニケーションをとることができていたのです。

毎日通えば自然と顔見知りになっていきますし、そこから新しい人間関係の輪が生まれたり、困ったときに助け合いをしやすくなります。

好きなおやつを交換しあったりおすすめのものを教えてもらったり、またおまけをトレードしたりといったこともできたわけです。
駄菓子屋は単なる売買利益を目的としたお店ではなく、街の子供たちと交流するための大切な場所であったと言えます。

地域で子供を見守るということがなくなった

現在しばしば社会問題になっているのが保育園の新たな建設問題です。
待機児童解消のために保育園を市街地に作ろうと計画がが持ち上がるたびに、その土地の近くの住民が騒音を理由に大反対をするということが都市部を中心に起こっています。

現代人は昔に比べて騒音や悪臭に対して敏感になったということもあるでしょうが、そもそもとして街を駆けまわる子供の声が「聞き慣れなくなってしまった」ということも問題の一つではないかと思います。

例えば線路沿いや高速道路沿いに住んでいる人が長く住むことで音に慣れていくように、普段からよく聞いている音というのはよほど大きなものでなければ自然に慣れていくものです。

駄菓子屋が街から喪失したということは、街中で集う子供たちの声が消えたということでもあり、それは大人にとって子供の声を耳慣れないものにしてしまったということにもつながります。

子供にとっての駄菓子屋とは子供同士の交流場であるとともに、親ではない大人たちとの交流場でもあったのだということが街から駄菓子屋が消えた今になって強く実感されます。